裏路地も「未来遺産」!?~人々から愛され続けるグルメ通り4ヶ所☆

ソウル未来遺産の「市民生活」分野では、ソウル市民の生活に密着した 未来の文化財に値する物が多く選定されています。

今回はその中から、人々が集まることで形成されて来たグルメスポットをピックアップしました。いわゆる「グルメ横丁」「グルメ通り」と言われる場所です。中でも、同じメニューを扱う店が集まった通り。

ソウルにはそのような場所が沢山ありますが、未来遺産に選ばれたのは以下の4ヶ所です。

 

 

それぞれの歴史も併せて、ご紹介いたします!

題目のすぐ下にあるのは、横丁が形成された年代/未来遺産選定年。続いて、選定理由(保存の必要性)&補足説明となっています。

 

 

 

 

乙支路(ウルチロ) ノガリ横丁

 

▶1980年代/2015年

▶1980年代に出来た、ジョッキ盛りの飲み屋(韓国語で「ホプ」(호프)といいます)が 10軒ほど集まっている路地で、「生ビール」と「ノガリ」という、特有の酒文化のある場所です。

1997年の韓国のIMF経済危機(※注)を契機に、ここを訪れる人が爆発的に増えました。夕方になると席を探すのが難しいほど、現在に至るまで 呑兵衛たちに愛され続けている路地横丁です。

(※注)韓国が通貨危機(国家破綻の危機)を経験し、国際通貨基金 (IMF) からの資金支援の覚書を締結した事件

▶住所
ソウル特別市 中区 乙支路3街 95 一帯
(中区 乙支路13ギㇽ 19)

(写真引用 Instagram)

席に座るとすぐに 生ビールとノガリが出て来ます。ノガリ(노가리)とは、スケトウダラの幼魚の干物のこと。


横丁の元祖は「ウルチOBベオ(ベアー)」(을지OB베어)。店主が 生ビールチェーン店のOBビールを開業するに当たり、故郷(黄海道)でキムジャンに入れて食べていたスケトウダラの味が忘れられず、生ビールのつまみとしてノガリを出したのが始まりです。

開業当初は、500cc生ビールが 1杯380W。それに 100Wのつまみを足しても、500W以内でした。韓国の経済が大変な状況だった時期にも、市民にとっては 比較的安くお酒を楽しめる、ありがたい場所だったでしょうね。

2番目に開業したのが「ミンヘンホプ」(뮌헨호프)で、1989年開業です。乙支路に来てみたところ、OBベオに席が無いほど人があふれているのを見て、ビールの本場ミュンヘンの名前を付けてスタートしました。

また、韓国の “オクトーバーフェスト” (ミュンヘンで毎年開かれるビール祝祭の名前)だという、「満船(マンソン)ホプ」(만선호프, 1枚目の写真の左手に店が見える)は、韓国国内で1番ビールが売れる所です。店内も路地も、ジョッキを前にした客の話声で常ににぎやか。

毎日売れるビールは、横丁全体で 約60t。その内マンソンホプが 40t、ミンヘンホプが 12tだそうです。

2012年、この横丁独自に「乙支路ノガリホプ繁栄会」を組織して、毎年5月に「乙支路ノガリ祝祭」を開催しています。
祝祭当日は 80tのビールが売れ、この日の収益はすべて、恵まれない人々を助ける行事に寄付しています。

 

 

 

 

将忠洞豚足横丁(チャンチュンドン チョッパルゴㇽモッ)

 

▶1970年代/2013年

▶豚足(チョッパル)という韓国特有の食べ物を作り出し、それに特化した店が集まって形成された通りとして固有の食文化を創出しました。2000年にはソウル市 中区庁からも特化通りに指定され、民俗生活史的側面において、管理と保存が必要な場所です。

▶住所
ソウル特別市 中区 将忠洞 1街 62-1 一帯
(中区 将忠壇路 174-1)

地下鉄3号線3番出口から、東大門方向に向かって伸びる約300mの通りで、10軒ほどのチョッパル食堂が並んでいます。

(写真引用 Instagram)

近年はチョッパルも甘辛い味や工夫を凝らした味付けが多く出て来ている中、この通りの店はどこも昔ながらの味を大切に守っています。


サイドメニューとして定番なのが、マックッス(甘辛蕎麦)やピンデトッツ。

まず1960年代初めに、北朝鮮の平安道出身の2人の女性が 奨忠洞に店を出したのですが、元々は味噌味だった平安道式のチョッパルを、醬油で味付けした物に変えて売り出したのが始まりです。

後に1人が独立し2店舗となり、以後 少しずつ店が増えました。チョッパルの大衆化が進んだのは、豚肉を日本に輸出した後に残った豚足が、市場に安い値段で沢山出ていた1970年代。

また 奨忠洞チョッパルが有名になったのは、立地的な好条件のお蔭が大きいと言えます。奨忠体育館(1963年完成)、奨忠壇公園、東国大学、また国立劇場も近くにある為、人通りが多いこの場所のチョッパルが、安価な栄養食であるとして口コミが広がって行ったのです。

スポンサーリンク

※どの店が元祖なのかという記述はありませんでした。

 

 

 

 

新堂洞(シンダンドン) トッポッキタウン

 

▶1953年/2013年

▶1953年より始まり形成されて来た、韓国特有の食べ物である トッポッキに特化された食堂が集まっている通りとして保存の価値がある場所です。道の両側にトッポッキ専門店が並ぶようになり「新堂洞トッポッキタウン」という別名が付きました。

▶住所
ソウル特別市 中区 新堂洞 292-112 一帯
(中区 茶山路 35ギㇽ 5)

(写真引用 Instagram)


新堂洞トッポッキ通りは、6.25戦争後の 1953年に、マ・ボンリㇺおばあさんが リヤカーを引きながらトッポッキの商売を始めたところからスタートします。

このトッポッキが人気を博し、自分の名前を付けた店舗(「マ・ボンリム ハルモニチッ」)を開業した物が、新堂洞トッポッキ通りの元祖店になったのです。

新堂洞トッポッキ通りが現在のようになったのは、1970年代後半からです。後から開業した店が、DJボックスを設置してお客さんを引き寄せたところ、それがこの通りを代表する象徴にもなりました。この時期に大きく成長し、一時は40店舗以上にもなりました。(1997年のIMF経済危機により減り始めた)

初期のトッポッキは、唐辛子だけ入れて作った間食でしたが、時が流れ、トッポッキも一食に足る料理の1つとして根付きました。

最近では、玉子、タン麺、練り物、チョル麺、ラーメン等は、トッポッキの基本の具にあり(1枚目の写真参照)、生イカ、海老、チーズまで加えた新しい味で、人々を虜にしています。

今や外国人たちも好んで訪れる名所となり、2000年から「新堂洞トッポッキ祝祭」も開催されています。2013年には、韓国文化体育観光部が、この一帯を「飲食テーマ通り」に指定しました。

 

 

 

 

東大門焼き魚横丁(トンデムン センソングイゴㇽモッ)

 

▶1979年/2013年

▶練炭で焼いた焼き魚という食べ物に特化した食堂が集まって形成された場所であり、ソウルで唯一の焼き魚横丁として、保存の価値があります。

▶住所
ソウル特別市 鍾路区 鍾路5街 281-9
(鍾路40ガギㇽ 5)

(写真引用 Instagram)


この場所は最初、カムジャタン、定食、スンデ等いろいろなメニューの店があったのですが、1979年頃、焼き魚食堂が次第に増え、店ごとに練炭の焚口を道端に出して、サバ、サワラ、イシモチ等を焼き始めました。

1990年代には近くに縫製工場があった為、工場の人たちを含めて いつも多くの人々で賑わっていました。

現在この通りには 15軒ほどの焼き魚食堂を含めて、路地に沿って 50軒以上の飲食店が集まっています。その中には 15~20年ほど経った店が多く、地元の雰囲気を感じ取れる一角でもあります。

煙の立ちこめるこの路地には、様々な年齢層の国内客と 外国人観光客が訪れています。

※元祖店に関する記述は無し。

~いかがでしょうか。

ソウルには「〇〇横丁」って本当にた~くさんありますよね。(焼き魚横丁の路地は タッカンマリ横丁でもありますし)でも「未来遺産」とされるには、やっぱりそれなりの理由があるということが分かりました!

今回の場所は、前回までの個々の店舗に比べて 比較的年代は新しめでしたが、確かにこの先 失われてほしくない所ばかりです。

路地のような横丁でも、人が多ければ心配はないと思いますし(ただしお酒が入った人には気を付けなければならないかもですが…)、値段をごまかされるようなことも無いと思いますので、興味がありましたら是非どうぞ♡

※尚、ホームページでは全部「区」ごとに整理されている上、「飲食店」「グルメ」のような分類になっていないので(「市民生活」分野です…)一応全部の区をチェックしてピックアップしたのですが、万が一見落としがあったら、後からでも追加していきますね。

スポンサーリンク

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前

メールアドレス

URL

コメント

応援お願いいたします!
ブログランキング・にほんブログ村へ
管理人プロフィール

管理人: ピンナ

私は今、韓国のソウルに住んでいます。

現地住みの特権を活かし、ソウルに旅行に来られる皆さんに観光情報をお届けしようと、このブログを立ち上げました。

旅行出発以前の基本情報からスタートして、主に季節のイベントやグルメ、お得な情報をお届けしています。

基本情報も、変更点があれば随時お知らせ中。

どうぞよろしくお願いいたします!

カテゴリー
最近のコメント
人気記事
アーカイブ
スポンサーリンク

ページの先頭へ